風布展kazafu −染•斉藤洋
室生の里は、秋空美しく、小さな柿の実が鈴なりに紅く実っています。三年に一度の待ちにまった、斉藤洋の染展ー風布ーを
十月二一日(金)より十日間無休で開催いたします.
今年は三月十一日以来、斉藤洋さんは震災地に、出かけられ
今回夢雲での個展が、初めての作品展です。
風の布パピヨン(斉藤洋のブログ) http://blog.canpan.info/shamurie/
アジア少数民族の手による手紡ぎ手織りの布や、
日本独自の布である毛斯綸(モスリン)やがら紡などを愛し、、
その布と対話するような染め(手描き染)を続けておられる斉藤洋さん。
斎藤洋さんの染め布を夢雲でおなじみの竹田安嵯代さんが仕立てるコスチューム(あわせまとふ)。ショール、
ウールモスリンの(もじり袖コート)、やハンチングなど、
愛深い斉藤洋の手描き染めの作品展です。
10月22日は野染めの会(要予約)
ワークショップ・ 斉藤洋の野染めの会
ギャラリーの庭で18mの木綿布2本を張り、
自由に染め合うワークショップをします。
定員・36人 要予約 会費・2,000円(染め布代)
10/22(土)1:00~ 雨天の場合23日に順延
予約・ギャラリー夢雲・Tel:0745-92-3960
E-mail moon39moon@gmail.com
10月21日22日には
モハマヤバートのスパイス精進ランチもご用意しております。
お越しいただけるのを、楽しみにお待ちしております。
夢雲 山脇優喜美
10/22/(土)10/23(日)
11;00〜16:00
モハマヤバート
スパイス精進ランチ ¥1000
できればご予約ください。
ギャラリー夢雲
Tel:0745-92-3960
Email: moon39moon@gmail.com
つぎっこ
終わりという文字。糸へんに冬でなぜ終りなのでしょう。
昔、特に東北に住む人たちにとって冬を過ごし乗り越えるのは、大袈裟でなく命懸けだったのではないでしょうか。特に寒流が南下する三陸地方は米も取れず、綿を栽培できる気候でもなく海沿いにへばりつくように過ごす人たちにとっての冬は、今では想像もできない厳しいものがあったと思います。
纏う布は麻。明治が始まるまで木綿はご法度。絹などは論外。麻を育て紡ぎ手織し、町の紺屋で染めてもらい、そこに刺し子を施しますが、その糸だけ木綿を使うことが許されていたといいます。布団などなく藁(わら)や筵(むしろ)をかぶり夜を過ごしたようです。
南部言葉で布のことを〃つぎ〄といいます。布はつぎっこ。長く寒い寒い冬を乗り越えるため継いで接いでいった指先を想います。体寄せ合い〃ぬぐだまって〄命を継いできた人たちの姿が、今仮設に住みこれから冬を迎える当地の人たちと重なります。
冬という言葉自体が終わりという意味を含んでいます。
糸が終わるとは、織り終えたという意味です。
そして待ちに待った春がやって来るのです。
私が染める布のこと、糸のこと、それを縫い繋ぐ人たちのことを改めてありがたく思います。願わくば私の染物で少しでもぬぐだまって頂ければ、これ以上の喜びはありません。
三年ごとの夢雲展。久しぶりに皆さまにお会いできるのを楽しみにしております。
斎藤 洋
斎藤洋(Hiroshi Saito)
1947年横浜で生まれる。
1971年東京からふらっと京都に流れ来て、染物屋に住み込む。
結婚、息子二人に恵まれる。今は孫にも。
独立後、染問屋の仕事をするも馴染めず、カジュアルな染を選び、
布はどこから来てどこへ行くのかなど考えつつ現在に至る。
1988年仕事先のニューヨークで出会った
<エイズ・メモリアル・キルト>に大きな影響を受け、
1990年メモリアル・キルト・ジャパンを設立。現在は会員。
同時期に大勢の人たちと20メートルほどの晒木綿を木と木の間に張り、
染め、分け合う<野染め>を始める。共に染めた人は国内外で2万人を超える。
2007年途絶の危機にあるウール・モスリンの存続を目的とした<モスリン会>設立。
華頂女子高等学校・京都造形芸術大学講師
こどもたちには染のおっちゃんと呼ばれている。
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